2006年08月24日
ぐちゃぐちゃな部屋、それは…
こんなに激しく腹が立ちやりきれなく切なくなってしまうなんて情けない。「何でこんなにふりまわされなきゃいけないの?」と。
現在私は会社員ではない。フリー。一日の内に、2、3箇所続けて違う現場で仕事をすることも多い。仕事の場はブログや公の場で知られているところばかりではないので、その現場がどこなのかはオフレコ。
Aという仕事の現場。「ある人」の「ある理由」で今後そこが何かと大変な状況になることを誰もが予測できた。事情を知った関係者達が今後どうするか必死で考え調整のために動いているのを目の当たりにした。私でお役にたてることなら・・・。しんどいけど、何とか無理をすれば今後皆が楽になる、現場も人もいい空気になっていく、それは私にとっても嬉しいことだから・・・と考え、正直かなり無理をした。私はフリーという立場で仕事をさせていただいている。仕事の現場は様々。使ってくださっている様々な場や決まっていたスケジュールも大幅に変更するため、ここ数日、関係各位・各所に説明をしお願いをした。結果ご理解をいただき、「大変更」が何とか完了した。ふ〜っつ。なんとかなるもんだぁ〜
が!が!が!しかし!!その「ある人」の「ある理由」は白紙に戻ったという。他の人からその朗報を聞いた。それはめでたいそのAという現場は今まで通り。よかった。
え〜っ??じゃぁ、私の「大変更」はどうなるの?スケジュールに絡んでいたBやCやDという他の仕事の場に必死でお願いしたのに。いや、いい、それは別にいい、よくないけどいい。私が心の中で怒り狂ったのはそんなことではない。「ある人」は自分のことで周囲が調整をしていることは知っていたのだ。それでも「ある理由」を白紙に戻した、深く考えた末のこと、私がとやかく言う事ではないだろう。「ある人」の人生なんだから。
私が怒ってるのはそんなことではなく!「あなたの理由で周囲が必死で動いた、森田が調整をしたことも知っていたでしょ、Aという現場ではいつも顔を合わせているのに何で本人から一言もないの?」
そう、その一言。本当は私が調整している時でも一言欲しかった。それが無理なら、「ある理由」を白紙に戻した時に本人から言って欲しかった。その現場では同じ空間ですごく近い距離にいるのに。私はAという現場に使ってもらっている立場だからすぐ近くにいる「ある人」に、この気持ちを伝えられなかった。でもこの状況なら、「ある人」から一言あってもいいでしょう?ねぇ?電話でもメールでもいいでしょう?でもこんなに不快になるなら本人に自分の気持ちを言えばよかった。
前置きが長くなった。その怒りや情けなさや何ともいえない不快感。何とか解消せねば、明日の番組にも影響してしまう!もちろん他の仕事にも!気分を切り替えるべく、夜帰宅して21時頃から部屋の模様替えを始めた。引越し以来の荷物の大移動、足の踏み場もないほど。思っていた以上に心身ともに疲れていた。結局夜中になっても終わらず・・・。時計は3時すぎ。少しでも眠らなきゃ。そして不快感と共に5時起床。そして「フレモニ」へ。
番組に向き合っていると、不思議と心が浄化されてきた。気持ちを切り替えながら放送はしたつもりだが、こんな精神状態ではリスナーの方に申し訳ない。
情けない。こんなに怒っている私。それは裏を返せば「ある人」に「期待をして」しまっているってこと?かな?その「期待」に「ある人」が応えてくれないから腹を立ててしまうのだろうか。本人に怒らなくても、この怒りだったり情けない気持ちになったことですごく力を使ってしまい疲れてしまった。スケジュールを「大変更」してそれをまた元通りにすることは、私のキャパシティではかなり苦しいことだった。でもそんな作業よりも、こんな何ともいえない感情が苦しいと思った。
ひょっとしたら、気づかないうちに私も人を不愉快にさせているのかもしれない。迷惑をかけない努力をしているつもりだが
「ある人」を心の内で責めても仕方がない。私がその人と同じことを他の人にしないこと。最終的にはそこにたどり着いた。
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この記事へのコメント
ただ、するんだたら、大物の移動にかぎる!!
今後こまごまとした物はやめときましょうね。
さもないと、後で自己嫌悪、と後悔・・・。
「汝の欲せざる所、人に施すなかれ」
「恕(じょ)」と言うんですって。
犬飼木堂のよく好んだ言葉、同じですね。
でもエネルギーの大きさが伝わってきました。
大きなエネルギーは平和利用が一番です。
ラジオの明るい元気の出る声に変わっていますように。
何をいいたいかというと、人はそれぞれが持っている情報や過去の経験にて、感じ方がちがうのではないでしょうか。
つまり人は経験や情報を積めば積むほど、ざまざまな起こりうる現象を想定して、判断し行動してしまいます。
相手が自分と同じ判断や行動あるいは理解ができるのか否か、それは人としての成熟度(経験と情報量)により異なるかもしれません。
君がこれからもっと成熟するたびに、周りの人にこのGAPを感じることがさらに多くなるかもしれません。ただそのGAPは背丈のように成長が止まった人に対して、さらに伸びることを期待するのではなく、君がそのGAPがある方々にどう対応するかを考えていかなくてはならないかもしれないですね。