2007年03月09日

最終回

ひとつのテレビ番組が終わった。

岡山という場所で汗を流しながら、ものづくり・地域づくり・人づくりに取り組んでいる方々、小学生やご年配の方々、「有名人」と呼ばれる芸能・文化・芸術・音楽関係の方々・・・

実に多種多彩な方々によって、夕方放送されていたその番組はつくられてきた。

8年間の歳月は、過ぎてみればあっという間だったかもしれない。

 

私は38歳になった。

 

新番組のスタートは、私の30歳のスタートでもあった。局の人達やテレビの向こうにいる人たちから「○H○らしくない」と言われた。いい意味でも悪い意味でも。

シンフォニービル1階・ガレリアからの生放送は放送局にとっても冒険だったであろう。ゲストのインタビュー、特産品の試食、ニュースや天気を目まぐるしくカメラの前で行いながら、その様子を現場で見ている「偶然そこを通った方々」や「ファンの方々」とのやりとりもして・・・生放送で天気予報を読んでいる時にガレリアを通る方々に話しかけられることもよくあった。寒い時も暑い時も、スタッフとともに放送に励んだ。未だに私は街なかで「ガレリアの人!」と声をかけられる。

番組3年目から局の玄関がオープンスタジオになった。新しい女性アシスタントが加わりコーナーも多彩になった。

「許せないこと」「納得できないこと」に対して、上司には勿論のこと、ディレクター達に思いをぶつけすぎた時もあった。時には大声で怒鳴ったり、理詰めで話したり・・・。時効だから言うが、連日、反省会での私の怒り方?に他部署からクレームが来て反省会の場所がフロアーから追放されたこともあった。当時のスタッフ達にとって私の存在は「大きな重荷」だった時期もあったに違いない。

番組5年目、番組内で人の入れ替わりもあった。男性アナウンサーが新しく司会者として加わり、5年目にして初めて男性アナウンサーと番組を進めていくことになった。新鮮でもあり、刺激的でもあり、一方で「息」の合わせ方に戸惑ったり・・・。

番組を卒業する時、視聴者の方々やスタッフ達から温かく送っていただけたことに今でも感謝している。

あの番組を担当させていただいた5年間は、私の「土づくり」の時期でもあったような気がする。その時の出会い、振り返りや反省すべきことが私を成長させてくれた。

テレビ番組を離れて今日までの3年間は、私にとってまさに「自分さがし」の時期だったかもしれない。信頼した人から裏切られることも何度かあり、極度の人間不信に陥った。どん底から這い上がるために必死でがむしゃらに過ごした時期でもあっただけに、その番組をゆっくり見る時間もなかった。

3月9日(金)で最終回を迎えることを風の便りで知った。寂しくもあり、それも時の流れなのだ、とも思った。

番組を支えてくださった視聴者の方々や、ご出演くださった方々、そして放送局の方々や番組スタッフの皆さん・・・ありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。この番組に関わらせていただいたことを誇りに思い、そして心より感謝しています。

 

 



keichun_cafe at 21:22│Comments(2)clip!

この記事へのコメント

1. Posted by NWF   2007年03月15日 23:37
今朝の朝刊で、森田様の着物姿を拝見し、こちらに寄せて頂きました。KSBの時代から存じておりましたが、移籍〜フリーへと選択肢の広がりと共に注目度も増し、その分、様々な賞賛、非難、応援、葛藤等があったと拝されます。距離感は様々ですが、森田様の存在によって勇気や喜びを与えて頂いている人々が存在しているのは事実です。「FM」の方も拝聴したいと思います。今後の、更なる御活躍を期待しております。(もちろん、健康第一ですけどね。ストレスは我々とは比べ物にならないとは思いますが、工夫して溜めないにして下さい。)
2. Posted by ざとぺく   2007年03月16日 08:49
初コメです、森田さんをTVで拝見したのがN○Kの505でした、当時は仕事が5時過ぎに終わって家で拝見していました、今は時たまラジオで声を聴いて森田さんだ〜と気づいて拝聴するぐらいです、これからはブログで拝見していきます、お仕事頑張ってください。

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